2014年7月25日金曜日

初めての断食

今年のパキスタンでは、6月30日からラマザンが始まりました。

ラマダン月に最初に肉眼で新月を確認した日から次の新月が確認されるまでの約1ヶ月間のことを言い、イスラム教徒にとっての義務「5柱」の1つである「断食」をして、日の出から日没後まで食べ物や水を断ちます。厳格なイスラム教徒は自分の唾も飲み込まないのだそうです。(その他、信仰告白(シャハーダ) 、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート) 、断食(サウム) 、そしてメッカへの巡礼(ハッジ)といった柱があります)

ラマザン中、会社のパキスタン人スタッフはお昼休みも働いて、15時に終業のラマザンタイムです。明らかに余計なエネルギーを消費しないように、口数が少なくなり、「あれ出社している?」と思ったことが何度も。政府機関も2時や3時にはオフィスをクローズです。ラマザン期間中は仕事のスピードもゆっくりになります。

break fastする「Iftarイフタール)」は今年パキスタンでは19時半前(日によって、場所によって異なる)なのですが、その時間帯になると道路にほとんど車を見かけません(みんな断食明けのご飯「イフタール」を食べているので)。イフタールの直前の道路は混雑し、みんな急いで家に帰るのでスピードを出した車をたくさん見かけます.

なぜ断食をするの?と何人かのパキスタン人に聞いてみると「神様との繋がりを感じるため」とか、「体内を浄化させるため(私たちはさほどお腹が空いていなくても目の前に食べ物があれば口にしてしまう。消化器官はいつも動き続けていて休息が必要)」とか、「貧しい人たちを思い、食べ物を大切にするため」とか、「ラマザン中は、断食に加え、人に親切に接しないといけないんだ」とか、色々な答えが返ってきました。なるほど。。


断食中はみんなどんな気分なのかと思い、仲良しのパキスタン人からも勧められ、1日ラマザンを試してみました。

●朝2時から3時頃、日の出前に「Sehri(セヘリ)」を食べます(朝3時半頃までに食べ終わらないといけない)。私からするとまだ夜中なのに、みんなbreakfastメニューを食べるのはなんだか違和感がありましたが、夜食ではなく早い朝食という位置づけ。パキスタン人友人から重ためのご飯を食べた方が良いと勧められ、フレンチトースト、チーズたっぷりのオムレツ、甘いチャイ(紅茶)と甘いラッシーを食べました。
●朝3時半頃就寝。食べ過ぎて横になると気持ち悪くなるほど。約4時間ぐらい睡眠を取る。
●17時半頃までにオフィスで仕事。いつも飲んでいる美味しいチャイも、水も、ランチも抜き。終業後、スーパーで買い物へ。
●19時22分、アザーンの声が外で鳴り響き、やっとイフタールの時間に。約16時間半の断食。長かった〜一口目の自家製マンゴーシェイクが本当に美味しかった。


セヘリ

イフタール最初に
食べるデーツのお菓子
















どんな感じだったかと言うと、実際はあまり空腹感も感じず、何度か水が飲みたくなりましたが想像していたほど辛いものではありませんでした。だた、最後の数時間はただ脱力感で身体に力が入らない感じ。私の場合、セヘリもたくさん食べたし、クーラーの効いている部屋で一日中居れたし、1日だけだったので(皆1ヶ月も続けるのだから本当にすごい・・)、他のパキスタン人に比べたら甘い方。少しだけだけれど、パキスタン人の気持ちが分かり、ラマザン中仕事が進まないからと言って愚痴を言わないようにしようと思った一日でした。

ラマザン中は、無理をせず、あまり頑張りすぎないようにする感覚も新鮮でした。明日やればいいことは明日やる、お祈りをして静かにイフタールの時間を待つ。1年間のうち、しばし休息の1ヶ月があるのも悪くないかもしれません。 


2014年6月8日日曜日

stay passionate

5月に誕生日を迎えて30歳になりました。
誕生日は久しぶりに日本で大切な家族と過ごし、穏やかで幸せな気持ちに包まれたありがたいひとときでした。

パキスタンに戻ってくると、なんと大きなお花と手紙が!大切な大切な友人が日本から誕生日プレゼントを送ってくれていたのでした。30代最初の嬉しいサプライズ。本当に嬉しい!

そこには、"Stay Passionate!"というメッセージ。

パキスタンに戻って来て日々落ち着いてきて、最近考えている今年は&30代はこんな日々にしたいなと思っていることを、なんとなく思いつくままに:

・30代は、途上国のpublic service deliveryをより良くするために、組織・経営マネジメントの観点から、技術的な観点から変化をリードしていきたい。そのために、今年1年は日々こつこつと努力を積み重ねる。
・金額規模や注目度合いで感じるやりがいよりも、心から突き動かされるような原動力を感じることを選択してきたい。具体的にはまだ分からないけれど、よりhuman basic needsに近いところにあるような気がする。
・良く練った計画を作ること、何を投入したかではなくて、実際に現場で何が変わったか、変化やインパクトに拘っていきたい。
・仕事とプライベートのバランスを、自分の心地いい配分にしていく。大切な人たち、家族、友人ともっとあたたかい時間を過ごせるように。それが自分のベース。
・そして、stay passionate!





2014年5月1日木曜日

Krizmah

こちらにきて、ソーシャルビジネスやNGOを立ち上げたパキスタン人のリーダーたちがたくさんいることに、とても驚いています。当たり前だけど、現地の人たちによる、現地の人たちの為の様々な取り組みが、もう既にそこにたくさんあるんですね。今日はKrizmahのカバンを紹介します!

お気に入りの赤のクラッチ。木と鳥がモチーフです。セレクトショップでたまたま見かけて衝動買いし、後からいわゆるソーシャルビジネスの会社だと知りました。

赤のクラッチ 木と鳥がモチーフ

Krizmahは、パキスタンのKP州(ハイバル・パフトゥンハ州)にあるチトラル県の女性が刺繍した布を使って、カバンやお財布などを作っています。女性の収入向上を目的に、チトラル県出身のデザイナー女性2人が2010年に会社を立ち上げました。

ローカルパートナーの団体にデザインを送り、そのデザインをもとにチトラルの女性たちが刺繍をし(もう少し大きめのカバンで丸3日間かかると聞きました)、製造は他の都市で行っているそうです。この刺繍技術はチトラル県のエリアの女性たちに昔から受け継がれているとか。同じローカルパートナーを使ってチトラルの女性たちに刺繍をしてもらっている会社が、Krizmahの他にあと2つありますが、私は中でもKrizmahが一番お気に入りです。Krizmahは金具はイタリアから輸入していて(だから値段が高いんだ・・)、革はパキスタンのものを使っています。

チトラル出身のデザイナー2人だからだと思うのですが、チトラルの自然をモチーフにしたデザインがとても活き活き感じられ、パキスタン、チトラルらしさが出ていて大好きです。

ちなみに、パキスタン政府が定めている最低賃金は月8000ルピー(約8000円)。先日出張先で使ったレンタカーのドライバーさんは、毎月20000ルピー前後稼いでいる様子で、子ども4人の学費に月12000ルピーかかるのだそうです(クリスチャンだから、教会の学校に送っているそうです。だから比較的安いのか?)。ご飯用のナンは1枚数ルピーで、カレールーは数十ルピーが一般的。パキスタンではめずらしく奥さんも働いているから、なんとか学費をマネージできているのかな。

カバンは100USD〜300USDの価格設定。チトラルの女性たちは月いくらぐらい収入を得ているんだろう。Krizmahはパキスタン人のお金持ちかパキスタンに住む外国人が主なお客さんなのだと思います。

先日Founderの1人Alamさんにお会いして話を聞いてきました。
この出会いの縁を、なにかに繋げて広げていけたらなと思います◎






2014年4月8日火曜日

ポロ

先日ポロを初観戦してきました。教育支援NGOのファンドレイジングを兼ねた国際マッチ。「ここはいったいどこ?」と思えるほど、イスラマバードとは思えないポログラウンドで、青々と広がる芝生、とても気持ちのよい初夏の風、迫力ある試合をエンジョイしてきました。

ポロは、色々諸説あるようですが、パキスタンのKP州チトラル県にあるシャンドゥール峠が発祥の地と言われているそうです(イギリスじゃないんだ。。)。今でもシャンドゥール峠では毎年ポロフェスティバルが開催されていて、標高3700mの地での試合は、世界で最も高い標高で行われるポロマッチなのだとか。

パキスタンにいることを忘れ、しばし優雅な気分に浸ることができました。








祖父

私の友人とそのクリエイティブな仲間たちがHABONというおしゃれなフリーペーパーを作っているのですが、1年ぐらい前に文章を書かせてもらいました。一部を抜粋。


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先日久しぶりに祖父と電話をしたら、「元気かい?仕事はどうなんだ?」と聞かれました。「楽しくやってるよー」と答えると、「自分が良いと思えることをやれているのが一番いい。たくさん仕事をして、職場の皆さんに可愛がってもらいなさい。」と言ってくれました。もう80歳過ぎになる祖父だけれど、きっとやり甲斐を感じながら仕事をしていたんだろうなーと思った。周りの人たちに感謝しながら、自分が好きだと思えることを続け、人との繋がりや、経験や、価値観や考え方を積み重ねていくことが出来たら幸せだなと思う。
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85歳の誕生日を迎える数日前に身体を崩したと聞き、めそめそしながら祖父に電話をすると、「心配ないから、しっかり仕事に集中しなさい」と喝。「4月に帰国しようかな」と話すと「仕事があるのにわざわざ帰ってこなくていい」と。小さな街の小さな会社で70歳後半まで仕事をしてきた祖父。大のおじいちゃん子だった私にとっては、第二の父でもある。自分が良いと思えていることをやれているのが一番と説いてくれる、人生の最後には何かを求めることなく今を受け止める強さを持っている、心から尊敬する大好きな祖父。5月に帰国して会えるのが楽しみです。