2013年11月24日日曜日

Papermiracles

今日はパキスタンの伝統音楽イベントに参加してきました。そこで出会ったのが、このPapermiracles(ペーパーミラクル)のアクセサリー。ビーズみたいなところが、紙で出来ているのだそうです。よーく見ると、細長い紙をくるくる巻きにしているのが分かります。

1つ600ルピー(約600円)でした。

細長い紙がぐるぐるになっています。

Papermiraclesは、2005年パキスタンの北部カシミール地方で起きた大震災で被災された女性たちの所得向上のために作られたNGOで、リサイクルペーパーを使ったジュエリーを手作り・販売しています。ジュエリーを作っている女性の1人は、地震で下半身麻痺になり、家族から見放され(貧しくて治療費を賄えないため)、遠くイスラマバードのシェルターに引き取られたのだそうです。

Founderは日本人の女性。このパキスタンの地でも、現地で起業し、現地の女性たちの人生にポジティブなインパクトを及ぼしながら色々な人たちに刺激を与えている勇気ある日本人女性がいることに、とても感動しました。



2013年11月17日日曜日

ムハッラム

11月6日から始まったムハッラム月(イスラム暦1月)。ムハッラム月9日目と10日目(今年は11月14日と15日。月の見え方により毎年変わるそうです。)は、イスラム教シーア派の殉教祭「アシュラ」でした。

シーア派は予言者ムハンマドの娘婿・アリーを初代イマーム(指導者)とし、アリーの子孫をムハンマドの後継者として主張する人たちのことを言います。

ラマダンに次いでイスラム教徒にとって神聖な期間とされ、特にムハッラム10日目はフセイン(ムハンマドの孫)が殉教した日で(後にスンニ派と呼ばれる人たちに殺害され)、シーア派とスンニ派の分裂に大きな影響を与えたとされています。シーア派の宗教行事が多く行われ、スンニ派とシーア派の宗教間抗争が活発化する時期です。

アシュラの間は、外出禁止の自宅待機となった2日間。金曜日に起こったラワルピンディでのスンニ派とシーア派の衝突で、週末もピンディへ行き来する道路はブロック。ピンディの住民へは外出禁止令が出て、携帯電話サービスもオフになっていました。週末参加予定だったイベントも中止に、ピンディにいる友人は外に出られずランチもキャンセルに。。

普段穏やかなイスラマバードだけど、近くのピンディでこんなことが起こると、やっぱりパキスタンにいるんだな、と痛感。


ザクロの季節

大好きなザクロ100%ジュースは本当に美味しい

週末は、会社の先輩手作り(!)のワインでサングリアを作りました


2013年11月7日木曜日

貧困

昨日、今日と、パキスタンのマクロファイナンス銀行を訪問し、そこで働くスタッフの方たちにたくさん話を聞いてきました。

マイクロファイナンスに興味を持ち始めたのは、financiallyにsustainableな組織運営が必要不可欠として各国のMF機関やMF銀行が様々な取り組みをしているから。私が仕事で関わる公的機関の組織運営に何か応用できないかなと思ったことがきっかけでした。

この2日間はイスラマバードから車で30分ぐらいのラワルピンディと、車で4時間ぐらいのファイサラバードの支店を訪問してきました。その都市の機能(工業都市か農村エリアかなど)によって客層、1人あたりの融資平均額や返済能力も異なってくるので、一概に指標だけで各々の支店を評価できるものではないけれど、店舗のキレイさ、ファイリングの整理のされ方、雰囲気(スタッフの士気が高いかとか、プロフェッショナル意識を持って仕事をしているかとか)、マネージャーとスタッフのコミュニケーションの様子など、支店によってそれぞれで面白い。結構、これらの違いが業績としての数値にも出て来ているんじゃないかな、とも思った。

MF組織を分析する時のポイントには色々あって、でも特に組織が如何にsustainableな運営が出来ているかという観点の指標がほとんどで、実際融資を受けた顧客がどのようにビジネスに成功して、更に融資額を増やし、収入を増やし、成長していっているのについてももっと知りたいなと思った。financiallyに持続的な組織運営は必要不可欠だけど、そこに固執するあまりにpotencial customersを逃したりしていないか、実際の貧困層へのインパクトがどんな効果をあげているのか。

ファイサラバードからの帰り道、片道4時間の長旅だったけれど、一緒に同行してくれたMF銀行のスタッフと車の中で色々話をしていました.彼は50歳後半、パキスタン北部のフンザ出身で、北部エリアで活発に活動しているローカルNGOでずっと働き、今はこのMF銀行で7年ほど働いているそうです。

イスラマバードに最近出来た大型ショッピングモール。
豪華に電飾されたモールを横目で見ながら、彼がぽつり。

「みんな高いお金を出してあのモールで買い物をしているんだなー。自分がフンザで生まれ育った子どもの頃は、1家で2頭の牛を飼っていて、右手で教科書や本を開き読みながら、左手で牛の首ひもをひっぱり牛をマーケットに連れて行っていた。貧困を経験したことが無い人たちがイスラマバードにはたくさんいる。貧困を経験したことが無い人たちが、貧困を概念化して語っている。」

この2日間で一番胸にぐっと刺さった言葉でした。


銀行の入り口

ファイサラバードの市内

ファイサラバードの市内


2013年9月4日水曜日

ずっと気になっていたこと

東京で3年間担当していたパキスタンの水案件のその後がずっと気になっていて、今日、その案件に入ってくださっているコンサルタントの方にお会いし話を伺ってきました。案件形成を始めたのは今から5年ほど前のこと。

やっぱり、制度を変えること、人の意識と行動を変えて、それを組織に定着させていくには、長い長いプロセスと忍耐が必要なんだなと痛感。その間、私たちも担当者が代わり、相手の組織にも人事異動がある。強制しても変わるものでもなく、やる気がある人がいるとは限らない。当事者が納得感をもって取り組めることに取り組み、成果を見える化してモチベーションを維持し、取り組みの意義を実感してもらい、適切なインセンティブが働く仕組みを作ること。私たちがリードし過ぎても、援助が去った後の取り組みは持続的でない。

案件の活動、設定する目標、成果指標などなど、セクターによってある程度replicableなフレームワークがあるのかもしれないけれど、その組織の歴史や風土、そこで働く人たちやリーダーのキャラクターや考え方が違えば、やっぱりアプローチもそれぞれになってくるのだと思う。

その組織で働く人たちから、謙虚に学ぶ姿勢と、同じ目標を共有する努力を通じて、信頼関係を築いていくプロセスを大切にしたいと思う。今の担当案件でも出来るかなーと不安もあるけれど、あと残りの期間で出来ることをしていきたい。

○○さんはこういう性格ですよねーとか、△△さんは最近休職から戻って来たんですよーなどなど、コンサルタントの方との話はかなり盛り上がりました。素晴しいコンサルの方に引き続き案件に入ってもらっていることにとても安心。感謝です。


2013年7月2日火曜日

"a Copacabana Building"-ブラジル映画祭

"a Copacabana Building"という映画を観に行ってきました。
ブラジル大使館が主催している映画祭で上映された作品の1つです。

ブラジルの有名なCopacabanaビーチの近くにあるアパート。そこに住む12組の住人へのインタビューから成る映画。アパートには、276部屋に500人ぐらいの、lower middle classの人たちが住んでいます。綺麗なアパートではなく、質素な作りの、1ルーム&キッチンの決して広くない部屋。

仕事が無くて路上で物売りをしているの中年男性、お互い二度目の結婚で、最近大げんかをして窓から飛び降りそうとしたと楽しそうに話す老夫婦、5歳の子どもを育てながら生活している20歳のシングルマザーの女性、道ばたで強盗に遭って銀行のカードを盗まれた経験を泣きながら話し、でも今はボーイフレンドとラブラブだと嬉しそうに話すお婆さん、インタビュアーと目を合わせない英語教師の女性、40年以上このアパートに住み続け、違う部屋に10回以上も引っ越しているおばさん(なぜ?笑)、「自分の人生のテーマ曲」と言って、思い入れがあるという歌を熱唱する中年のおじさん。

ブラジル人のlower middle classの人たちの日常。
質素な生活をしていて、今までそれぞれ色んな経験をしてきた人たち。
「大変だろうな・・・」という境遇にもいながら、何かそれ以上を目指すこともなく、今置かれている状況を納得して(ある意味諦めの状況にあるのかもしれないけれど)受け入れ、色々あったし今も色々あるけれど、「まぁ、これが私の人生なんだよね」と妙に説得力のある雰囲気を醸し出しながら、肯定的に捉えている雰囲気が伝わってくる、ユーモアや笑いも飛び交うインタビュー。

こういう人生の捉え方ってあまり日本人には珍しいかもね、と帰り道、一緒に映画を観に行った同僚と話していました。日本人だったら「自分はこんなに大変な人生を送ってきたんだ・・・」と悲観的になりそうだけど、と。この違いはどこから来るのだろう。

最近はサルサを始め、何だか自分の中でラテンが流行ってきている感じです。
次のお休みはラテンの国に行ってみたいな〜


大好きなムルタン焼きのお店で買い出し

パキスタンのパンジャブ州ムルタンという都市で
作られる、伝統的な焼き物

かわいい

美しい濃いブルー。
ここにくると色々欲しくなってしまう

2013年6月21日金曜日

世界難民の日

6月20日の今日は、世界難民の日。

最近慌ただしい毎日だったのですっかり忘れていたところでしたが、日本でも世界各国でも色々なイベントが催されたみたいです。オフィスからまっすぐに帰って来てしまったけど、イスラマでも何かあったのかな。イスラマバードにも、市内から車を少し走らせると、ソ連によるアフガン侵攻、9.11以後パキスタンに逃れて来たアフガン難民のキャンプやアフガン人コミュニティがあります。

開発援助を仕事にしたいと思うようになったのは、色々なきっかけがあるし、緒方貞子さんの影響も大きいけれど、大学1年生の時に、日本に逃げてきた難民申請中だったアフガニスタンの男の子と友達になったことが一番大きいように思う。もう10年前のことになる。

今までインフラ案件を担当することが多かったけれど、やっぱり私の行動の原動力となるのは、現地の人たちが何を考えているか知り、その人たちの希望や意志の実現のサポートがしたいというもので、彼と出会って感じたその想いは10年経った今でも全く変わっていないことに自分も驚いています。残念なことに、イスラマバードは私の原動力を突き動かしてくれるような現場が遠い。。

アフガン人の友人とは今でもメールのやり取りをしています。
素敵な家族を持ち、元気にしているそうです。

2013年6月5日水曜日

advice for the life



be happy 
be smiling
and open your mind to the newness


even if what you have expected doesn't happen, just be happy
don't worry, and just wait
the things will be surely coming later


if you are sad, try to be smiling physically 
which makes the things changed to the right direction suddenly


if you are waiting something happened, don't wait for it
start to meet people, expose you to the newness, and create the opportunities

 
then, gain your knowledge, read a lot, experience a lot, 
and try any chances in the world to strengthen your expertise


open your mind to the newness, and
be happy 
be smiling



2013年5月12日日曜日

パキスタンの行方

「PTIに投票する人、手をあげて!」

興奮した様子で食事中に声をあげたのは、パキスタンKP州に住んでいるマダム。中高年のパキスタン人男女6人と一緒に夕食を食べていたときのことだ。6人中5人がすぐに手をあげた。手をあげなかったけれど、残りの1人もPTIを支持していると言う。「もうこの国の政治にはうんざり。Changeが欲しいの!!」とマダムは続ける。


PTIとは、パキスタン正義行動党(Pakistan Tehrik-e-Insaf:PTI)という政党のことで、元クリケットのスター選手であったイムラン・カーンにより1996年に設立された。なぜ彼がそこまで人気なのか。私が着任してからだから今年の秋か冬に、米のワジリスタン(FATA)での無人機攻撃に対する抗議デモを行い、ラホールにガン医療病院を設立、病院への寄付金は何に使われたかすべてホームページで確認することができるそうだ。彼はクリーンな政治を、汚職のないパキスタンを、と呼びかけている。


実施機関との会議の帰り道、車内でパキスタン人のナショナルスタッフに、「選挙キャンペーンが盛り上がって来てるね〜」と言うと、「私はPTIに入れるわ!」と(私は聞いてなかったのだけど)。新しい政府何を期待する?と聞くと、「物価もどんどん高くなるし、教育を受けても仕事を見つけられない若者がたくさんいる。」と続けた。経済の安定と雇用機会の拡大を期待しているのだと言う。

5月11日(土)、今日が選挙投票日。

民主選挙によって選ばれた政権が任期を全うし、民主選挙によって新たな政権を選ぶのは、建国後66年の歴史の中で初めてのことになる。建国以来3度の軍事クーデターを経験したパキスタンは、民政と軍政が交互に続いていた。

パキスタン人の友人たちは、Facebookで投票所で3時間列び投票を済ませて来た!と報告、支持する政党の旗を首に巻き、家族と取った写真をアップ。その他のパキスタン人も、応援する政党のリンクを連日Facebookでシェアする熱狂ぶりだ。

対米関係、対印関係、アフガンとの国境地域の安定、電力不足、治安や電力不足は経済の停滞にも影響する。既に開票作業に入っていて、明日にはだいたいの結果が分かると言う。これからのパキスタンの行く先は如何に。

2013年4月28日日曜日

スリランカへの旅

4月の初めにお休みを頂き、スリランカに行ってきました。
たくさんの大自然とキラキラしたビーチと両方を満喫できる島国。イスラマバードでは少し高めのシーフードも満喫し、豚もビールもたくさん食べ飲み、最高なバカンスでした。



スリランカには北海道より少し小さい国土に、2,000万人ぐらいの人たちが住んでいるそうです。世銀のデータによると、1人あたりのGNI(Gross National Income:
国民総所得)は2,580USD(2011)と、パキスタンの2倍以上!(ちなみにパキスタンは1,120USD(2011)。)


一緒にご飯を食べた援助関係の仕事をしている女性は、「田舎の方にいっても、それなりの生活はしている(テレビがあったり)」と言っていた。テレビがあるということは、電気も来ているのだろう。私は、首都コロンボ、内陸部のマータレーやシーギリャを訪れたが、どのエリアも道路(国道か州道)が綺麗に整備されているのにはとても驚いた。舗装もされているし(道路に穴がないし、デコボコしていない)、車線もキレイな白で塗られているので定期的に良くメンテナンスされているんだろうな。現地の人は、マータレーは首相(だったかな)の故郷だからお金が良く落ちるんだ、と言っていたけれど、それもあるのだろう(パキスタンも同じような話はよく聞く)。とは言いつつも、コロンボ市内の渋滞は本当にひどく、北部は2009年に終結した内戦(政府軍とLTTE(タミル・イーラム解放の虎))からの復興プロセスの中。




今回の旅は、大学卒業して以来会っていない友人がスリランカで平和構築の仕事をしているので、彼女を訪ねにいくためでもあった。高校・大学と一緒だった彼女だったが、まさか同職に就くとは思っていなかった。6年ぶりの再会とは思えないぐらい、お互い変わっていなくて、学生時代の友人というのは本当に居心地が良いものだな。そして、彼女はとっても逞しく、そしてさらに優しくなっていた。




AYU PIYASAにも宿泊。日本人とスリランカ人が経営されているリゾート施設で、緑に囲まれた宿泊施設の景色に一目惚れしすぐに予約をしたのけれど、ホテルに着いて初めてアユルヴェーダ施設だという事を知る。笑 ビールも大好きなコーヒー(スリランカなのに)も飲めず、食事は野菜中心のオーガニックフード。最初は少しへこんだけれど、360°緑に囲まれ、静かな場所で鳥と虫の鳴き声だけが聞こえ、朝6時半からヨガ、午前・午後でアユルヴェーダのマッサージをしてもらい、ハイキングにいったり、夕方はスタッフの人と一緒に仏様へのお祈りにいったり、本当にリラックスな日々だった。

 朝食.朝からたっぷり頂きました。
朝食にはいつもたっぷりのデザートが。




朝ヨガから戻る時間帯。木々の間から射す光が本当に美しかった。
今回の旅で一番好きだった時間。

アフリカの大地で

会社の先輩がアフリカのウガンダ駐在になったというニュースが届いた。

いつも明るく前向きで、お酒好きで、がははーっと大胆に笑うところも大好きな先輩。
飛行機が着陸する時に窓から見えるアフリカの大地の景色を思い出すと、「うぉーーーっとアドレナリンが出てパワーが湧いてくる」と言っていました。ご主人もアフリカの他の国に駐在中の先輩。理解のある組織だなーと思う、新幹線で会える距離、という訳ではないけれど、ご主人と同じアフリカの地で、持ち前の明るさでアフリカライフを楽しんで欲しいな。

アフリカには大学4年生の時、PLASというNGOでウガンダとケニアに行ったっきり。パキスタン駐在中に、またアフリカに行ってみようと思う。

2013年4月14日日曜日

運命的な出会い

先週うっかりコンタクトレンズを着けたままソファーで朝まで寝てしまい、
朝から身体がだるかったので、リフレッシュしようと、お昼は会社の近くにあるホテルのカフェへ。カフェに行く途中で、おしゃれな若者たちがexhibitionの準備をしていて、なんと、ずっと気になっていたLettuceBee KidsというNGOがイベントの準備をしているところでした!

通りがかりの女性に「あなたこの団体で働いているスタッフ?」と声をかけると、
彼女は、ちょっと困った感じで「うーん、そうよ」と。
何かおかしいなー、どこかで見たことがある人だなーと思い、
「もしかして、この団体のfounder?」と聞いたら、「そう!」と。
彼女はLettuceBee Kidsの設立者であるCEO、Sarah Adeelだったのです。

彼女にずーっと会いたくて、NGOについて調べたり、コネクションを探っていたのですが、こんな形で偶然に出会えるなんて。人はずっと心で願っていれば、会いたい人とも会えるんだな。さっそく今度会う約束をし、彼女の想いに触れ、色んな話が出来るのが今から楽しみです◎

LettuceBee Kidsとは、パキスタンのストリートチルドレンを支援しているNGOで、物質的(食事やシェルターなど)な支援だけでなく、子どもたちの精神、感情、知識の面での成長を支援するために、食事、音楽、アート、養子縁組の仲介等の活動をしています。物質的な支援だけでなく、子どもたちが自立して生きて行けるようにな持続的な仕組みづくりを目指した活動を取り入れているのだそうです。Board of advisorの顔ぶれも豪華で、スタッフの役割もバランスが取れていて(MBAを持っているスタッフ、メディカルドクターの資格を持っているスタッフなど)、どんな組織の運営をしているのか聞けるのも楽しみです。


イベントが始まる前。
活動の写真や、ストリートチルドレンが
書いた絵が飾ってありました。

夜、イベントにも招待してもらいました。
たくさんのパキスタン人学生たちがボランティアで
手伝いをしている姿に感激。
子どもが書いた絵を使ったノートとカード。
if you don't like where you are, move.
you are not a tree.

2013年1月20日日曜日

ザ・チーム

一時帰国中、たくさんの人と会っては色んな話をしてきました。
パキスタンでの生活は、私にとってはとても快適で、仕事も面白いけれど、日本に住む良いところは、すぐに足を伸ばせば、色んな仲間や先輩たちと会うことができ、語り合えることだなぁと実感。

中でも印象深かったのが、最近マネジメントのポジションに就き自分のチームを持ち、仕事が楽しくてしょうがないという友人。「チームで仕事をすると、1人だったときより大きなことを成し遂げられるし、何よりも喜びが深い。」と。

東京で働いていたときは、あまりチームを意識してこなかった私。
こちらに来てからは、パキスタン人とペアになって同じセクターを担当するようになり、パキスタン人の仕事をマネージする仕事も担当するようになりました。「喜びが深い」という言葉がとても気に入り、「そうか、チームだ!」というひらめきと同時に、彼女の言葉がとてもしっくりきました。

大きな組織になればなる程、部署間の調整に追われ、自分の立場に留まった貢献に終止してしまいがちですが、私は、パッションのあるチームを作り、お互いに助け合う、ヘルプし合う関係作りに、少しでも貢献していきたいと思う。

友人が紹介してくれた、齋藤ウィリアム浩幸さんの本「ザ・チーム」には、こんなことが書いてありました。

「チームは、単なる人の集まりであるグループとは違う。」
「チームは、異質な人間がある目標を実現するために熱意を持って助け合う組織のことだ。」
「チームは失敗を許容する。イノベーションもアントレプレナーシップも、失敗を恐れず、リスクをコントロールする能力も、チームがあって初めて生まれる。」
「チームの前提条件は、お互いの弱みを知っていること。本音でお互いの弱点や失敗談を話すことによって、自然に信頼感が生まれてくる。コンフリクトが発生しても、相手の発言の背景も分かるようになる。」
「チームとして何をやろうとしているのか?」「チームをどうやって作ったのか?」が重要。


実家のベランダから見た初日の出。
今年はどんな1年になるかな。楽しみです。

エコミスモ

年末年始に休暇を頂き日本に一時帰国し、ずーっと欲しかったエコミスモ(ECOMISMO)の商品を買ってきました!キーケースは友人への誕生日プレゼントに、ポーチは自分用に買いました。



エコミスモとは、フィリピンで活動するNPO法人アクションの貧困層女性支援を通じて製作された商品を販売し、町の美化、環境保護を目的に活動するブランドです。

大学1年生の時、漠然と援助の仕事に興味があったけれど、何から始めたら良いか分からなかったので、大学のボランティアセンターに行って紹介してもらったのがアクションだった。

アクションはもともと、孤児院やストリートチルドレン支援の活動をしていたけれど、孤児やストリートチルドレンを減らすために何ができるか、子ども達が路上で働かずに学校に通うためには親が仕事に就かなければいけない。貧困地域で雇用を生み出しながら、町の美化や環境保護にも貢献できるように、と新たな事業を始めた代表の宗ちゃん。その思いに加え、持続的な事業の仕組みもすごい。


大学1年の春休みに参加したワークキャンプ。もうそれから9年ぐらい経つから、孤児院のジャイラホームで出会った子どもたちはきっと大きくなっているだろうなぁー、まだみんなジャイラホームにいるのかな、またいつか会いにいきたいな。


お店には、カラフルで目を引く色々な商品が並んでいました。