2014年4月8日火曜日

祖父

私の友人とそのクリエイティブな仲間たちがHABONというおしゃれなフリーペーパーを作っているのですが、1年ぐらい前に文章を書かせてもらいました。一部を抜粋。


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先日久しぶりに祖父と電話をしたら、「元気かい?仕事はどうなんだ?」と聞かれました。「楽しくやってるよー」と答えると、「自分が良いと思えることをやれているのが一番いい。たくさん仕事をして、職場の皆さんに可愛がってもらいなさい。」と言ってくれました。もう80歳過ぎになる祖父だけれど、きっとやり甲斐を感じながら仕事をしていたんだろうなーと思った。周りの人たちに感謝しながら、自分が好きだと思えることを続け、人との繋がりや、経験や、価値観や考え方を積み重ねていくことが出来たら幸せだなと思う。
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85歳の誕生日を迎える数日前に身体を崩したと聞き、めそめそしながら祖父に電話をすると、「心配ないから、しっかり仕事に集中しなさい」と喝。「4月に帰国しようかな」と話すと「仕事があるのにわざわざ帰ってこなくていい」と。小さな街の小さな会社で70歳後半まで仕事をしてきた祖父。大のおじいちゃん子だった私にとっては、第二の父でもある。自分が良いと思えていることをやれているのが一番と説いてくれる、人生の最後には何かを求めることなく今を受け止める強さを持っている、心から尊敬する大好きな祖父。5月に帰国して会えるのが楽しみです。


2013年11月24日日曜日

Papermiracles

今日はパキスタンの伝統音楽イベントに参加してきました。そこで出会ったのが、このPapermiracles(ペーパーミラクル)のアクセサリー。ビーズみたいなところが、紙で出来ているのだそうです。よーく見ると、細長い紙をくるくる巻きにしているのが分かります。

1つ600ルピー(約600円)でした。

細長い紙がぐるぐるになっています。

Papermiraclesは、2005年パキスタンの北部カシミール地方で起きた大震災で被災された女性たちの所得向上のために作られたNGOで、リサイクルペーパーを使ったジュエリーを手作り・販売しています。ジュエリーを作っている女性の1人は、地震で下半身麻痺になり、家族から見放され(貧しくて治療費を賄えないため)、遠くイスラマバードのシェルターに引き取られたのだそうです。

Founderは日本人の女性。このパキスタンの地でも、現地で起業し、現地の女性たちの人生にポジティブなインパクトを及ぼしながら色々な人たちに刺激を与えている勇気ある日本人女性がいることに、とても感動しました。



2013年11月17日日曜日

ムハッラム

11月6日から始まったムハッラム月(イスラム暦1月)。ムハッラム月9日目と10日目(今年は11月14日と15日。月の見え方により毎年変わるそうです。)は、イスラム教シーア派の殉教祭「アシュラ」でした。

シーア派は予言者ムハンマドの娘婿・アリーを初代イマーム(指導者)とし、アリーの子孫をムハンマドの後継者として主張する人たちのことを言います。

ラマダンに次いでイスラム教徒にとって神聖な期間とされ、特にムハッラム10日目はフセイン(ムハンマドの孫)が殉教した日で(後にスンニ派と呼ばれる人たちに殺害され)、シーア派とスンニ派の分裂に大きな影響を与えたとされています。シーア派の宗教行事が多く行われ、スンニ派とシーア派の宗教間抗争が活発化する時期です。

アシュラの間は、外出禁止の自宅待機となった2日間。金曜日に起こったラワルピンディでのスンニ派とシーア派の衝突で、週末もピンディへ行き来する道路はブロック。ピンディの住民へは外出禁止令が出て、携帯電話サービスもオフになっていました。週末参加予定だったイベントも中止に、ピンディにいる友人は外に出られずランチもキャンセルに。。

普段穏やかなイスラマバードだけど、近くのピンディでこんなことが起こると、やっぱりパキスタンにいるんだな、と痛感。


ザクロの季節

大好きなザクロ100%ジュースは本当に美味しい

週末は、会社の先輩手作り(!)のワインでサングリアを作りました


2013年11月7日木曜日

貧困

昨日、今日と、パキスタンのマクロファイナンス銀行を訪問し、そこで働くスタッフの方たちにたくさん話を聞いてきました。

マイクロファイナンスに興味を持ち始めたのは、financiallyにsustainableな組織運営が必要不可欠として各国のMF機関やMF銀行が様々な取り組みをしているから。私が仕事で関わる公的機関の組織運営に何か応用できないかなと思ったことがきっかけでした。

この2日間はイスラマバードから車で30分ぐらいのラワルピンディと、車で4時間ぐらいのファイサラバードの支店を訪問してきました。その都市の機能(工業都市か農村エリアかなど)によって客層、1人あたりの融資平均額や返済能力も異なってくるので、一概に指標だけで各々の支店を評価できるものではないけれど、店舗のキレイさ、ファイリングの整理のされ方、雰囲気(スタッフの士気が高いかとか、プロフェッショナル意識を持って仕事をしているかとか)、マネージャーとスタッフのコミュニケーションの様子など、支店によってそれぞれで面白い。結構、これらの違いが業績としての数値にも出て来ているんじゃないかな、とも思った。

MF組織を分析する時のポイントには色々あって、でも特に組織が如何にsustainableな運営が出来ているかという観点の指標がほとんどで、実際融資を受けた顧客がどのようにビジネスに成功して、更に融資額を増やし、収入を増やし、成長していっているのについてももっと知りたいなと思った。financiallyに持続的な組織運営は必要不可欠だけど、そこに固執するあまりにpotencial customersを逃したりしていないか、実際の貧困層へのインパクトがどんな効果をあげているのか。

ファイサラバードからの帰り道、片道4時間の長旅だったけれど、一緒に同行してくれたMF銀行のスタッフと車の中で色々話をしていました.彼は50歳後半、パキスタン北部のフンザ出身で、北部エリアで活発に活動しているローカルNGOでずっと働き、今はこのMF銀行で7年ほど働いているそうです。

イスラマバードに最近出来た大型ショッピングモール。
豪華に電飾されたモールを横目で見ながら、彼がぽつり。

「みんな高いお金を出してあのモールで買い物をしているんだなー。自分がフンザで生まれ育った子どもの頃は、1家で2頭の牛を飼っていて、右手で教科書や本を開き読みながら、左手で牛の首ひもをひっぱり牛をマーケットに連れて行っていた。貧困を経験したことが無い人たちがイスラマバードにはたくさんいる。貧困を経験したことが無い人たちが、貧困を概念化して語っている。」

この2日間で一番胸にぐっと刺さった言葉でした。


銀行の入り口

ファイサラバードの市内

ファイサラバードの市内


2013年9月4日水曜日

ずっと気になっていたこと

東京で3年間担当していたパキスタンの水案件のその後がずっと気になっていて、今日、その案件に入ってくださっているコンサルタントの方にお会いし話を伺ってきました。案件形成を始めたのは今から5年ほど前のこと。

やっぱり、制度を変えること、人の意識と行動を変えて、それを組織に定着させていくには、長い長いプロセスと忍耐が必要なんだなと痛感。その間、私たちも担当者が代わり、相手の組織にも人事異動がある。強制しても変わるものでもなく、やる気がある人がいるとは限らない。当事者が納得感をもって取り組めることに取り組み、成果を見える化してモチベーションを維持し、取り組みの意義を実感してもらい、適切なインセンティブが働く仕組みを作ること。私たちがリードし過ぎても、援助が去った後の取り組みは持続的でない。

案件の活動、設定する目標、成果指標などなど、セクターによってある程度replicableなフレームワークがあるのかもしれないけれど、その組織の歴史や風土、そこで働く人たちやリーダーのキャラクターや考え方が違えば、やっぱりアプローチもそれぞれになってくるのだと思う。

その組織で働く人たちから、謙虚に学ぶ姿勢と、同じ目標を共有する努力を通じて、信頼関係を築いていくプロセスを大切にしたいと思う。今の担当案件でも出来るかなーと不安もあるけれど、あと残りの期間で出来ることをしていきたい。

○○さんはこういう性格ですよねーとか、△△さんは最近休職から戻って来たんですよーなどなど、コンサルタントの方との話はかなり盛り上がりました。素晴しいコンサルの方に引き続き案件に入ってもらっていることにとても安心。感謝です。


2013年7月2日火曜日

"a Copacabana Building"-ブラジル映画祭

"a Copacabana Building"という映画を観に行ってきました。
ブラジル大使館が主催している映画祭で上映された作品の1つです。

ブラジルの有名なCopacabanaビーチの近くにあるアパート。そこに住む12組の住人へのインタビューから成る映画。アパートには、276部屋に500人ぐらいの、lower middle classの人たちが住んでいます。綺麗なアパートではなく、質素な作りの、1ルーム&キッチンの決して広くない部屋。

仕事が無くて路上で物売りをしているの中年男性、お互い二度目の結婚で、最近大げんかをして窓から飛び降りそうとしたと楽しそうに話す老夫婦、5歳の子どもを育てながら生活している20歳のシングルマザーの女性、道ばたで強盗に遭って銀行のカードを盗まれた経験を泣きながら話し、でも今はボーイフレンドとラブラブだと嬉しそうに話すお婆さん、インタビュアーと目を合わせない英語教師の女性、40年以上このアパートに住み続け、違う部屋に10回以上も引っ越しているおばさん(なぜ?笑)、「自分の人生のテーマ曲」と言って、思い入れがあるという歌を熱唱する中年のおじさん。

ブラジル人のlower middle classの人たちの日常。
質素な生活をしていて、今までそれぞれ色んな経験をしてきた人たち。
「大変だろうな・・・」という境遇にもいながら、何かそれ以上を目指すこともなく、今置かれている状況を納得して(ある意味諦めの状況にあるのかもしれないけれど)受け入れ、色々あったし今も色々あるけれど、「まぁ、これが私の人生なんだよね」と妙に説得力のある雰囲気を醸し出しながら、肯定的に捉えている雰囲気が伝わってくる、ユーモアや笑いも飛び交うインタビュー。

こういう人生の捉え方ってあまり日本人には珍しいかもね、と帰り道、一緒に映画を観に行った同僚と話していました。日本人だったら「自分はこんなに大変な人生を送ってきたんだ・・・」と悲観的になりそうだけど、と。この違いはどこから来るのだろう。

最近はサルサを始め、何だか自分の中でラテンが流行ってきている感じです。
次のお休みはラテンの国に行ってみたいな〜


大好きなムルタン焼きのお店で買い出し

パキスタンのパンジャブ州ムルタンという都市で
作られる、伝統的な焼き物

かわいい

美しい濃いブルー。
ここにくると色々欲しくなってしまう

2013年6月21日金曜日

世界難民の日

6月20日の今日は、世界難民の日。

最近慌ただしい毎日だったのですっかり忘れていたところでしたが、日本でも世界各国でも色々なイベントが催されたみたいです。オフィスからまっすぐに帰って来てしまったけど、イスラマでも何かあったのかな。イスラマバードにも、市内から車を少し走らせると、ソ連によるアフガン侵攻、9.11以後パキスタンに逃れて来たアフガン難民のキャンプやアフガン人コミュニティがあります。

開発援助を仕事にしたいと思うようになったのは、色々なきっかけがあるし、緒方貞子さんの影響も大きいけれど、大学1年生の時に、日本に逃げてきた難民申請中だったアフガニスタンの男の子と友達になったことが一番大きいように思う。もう10年前のことになる。

今までインフラ案件を担当することが多かったけれど、やっぱり私の行動の原動力となるのは、現地の人たちが何を考えているか知り、その人たちの希望や意志の実現のサポートがしたいというもので、彼と出会って感じたその想いは10年経った今でも全く変わっていないことに自分も驚いています。残念なことに、イスラマバードは私の原動力を突き動かしてくれるような現場が遠い。。

アフガン人の友人とは今でもメールのやり取りをしています。
素敵な家族を持ち、元気にしているそうです。